JADE 冷泉翡翠の探検 探検の切っ掛け

冷泉翡翠山口県に生まれた。冷泉一族は平家の末裔である。平清盛を中心とするあの平家一族の武将を先祖に持つ。平家の落人伝説が有名だが特に私の先祖は落武者ではないらしい。平氏滅亡となった壇之浦の戦いが起きた山口県平清盛を祖とする平氏一門の血を色濃く受け継いでいる冷泉の家があるのである。その冷泉家に1995年、女の子が生まれた。それが私だ。スペイン人のクォーターでもある。祖母がスペイン人だ。祖母の先祖はスペイン人のコンキスタドールで南米の部族達と交戦した経験がある騎士、兵士の軍人一族だ。翡翠の名は宝石から取られた。翡翠とはカワセミ色とも言うが私の場合は翡翠の魚だ。私の大好きなスネークヘッド。いわば翡翠スネークヘッドといったところだ。宝石の翡翠のように美しく輝いて欲しいという思いが込められているそうだ。そのため私を良く慕うものはジェイドと呼ぶ。ジェイドは英語で翡翠だ。尤も私は5人兄妹の末妹なのだが兄も姉も全員宝石の名前を持っている。いわば宝石兄妹だ。この翡翠という宝石は私にとって特別な意味を持つ。翡翠には魔力があると言われている。私にも魔力じみたものがあると生まれつき言われてきた。なぜなら私にはカリスマがあったからだ。カリスマ性とはいわば魔術的だ。不可思議なものなのだ。そしてもう一つは美貌だ。美しさと綺麗さと可愛さが全部合わさった顔と言われる。私には良く分からないが、周囲の者は皆恐れおののく。まさしく翡翠の宝石だ!が決まり文句だった。美しさはカリスマだ。ちなみに私が首に下げているのも翡翠だ。お守りでもある。これが数多の災厄から救ってくれる。古今東西の文明では翡翠は魔除けとして好まれてきた。そして私は幼い頃からアウトドアが好きだった。海や山に行ってはキャンプをしたりした。登山やスキューバダイビングも得意だ。山口の豊かな自然で心も体も鍛えられた。山口は何でも出来る環境が揃っていたのだ。自然と向き合う内に博識にもなれた。そして私にはロマンを求めているという部分がある。非現実的な世界だ。それが探検だ。私が探検に興味を持ったのは小説だった。秘境探検や海洋冒険が大好きだった。自然に大航海時代の本をたくさん読んだ。そして出会ったのだ。伝説の探検家コロンブスに。私はコロンブスが好きだ。畏敬の念を持っている。コロンブスは新大陸発見という偉業を成し遂げた。これが当時としてはどれほどの結果なのかは想像さえ出来ない。だからこそ私はコロンブスの手記を読む内に心惹かれた。異論はあるとはいえヨーロッパ人としては初めてアメリカ大陸を発見したコロンブスは探検家だったのである。探検家冷泉翡翠誕生の瞬間だ。私が探検家になろうとしたのはコロンブスの偉業を知ったからだ。私はコロンブスを研究しながら元々好きだった歴史や地理の知識も身に付けた。熱帯魚に囲まれた生活をしているため生物学にも対応できた。南アメリカ大陸にはジャングルが多い。そこには未確認生物がいる。その南米には半魚人伝説がある。魚のような体を持った人型の生命体がアマゾン川の奥地には生息していると言われている。魚、未確認生物、中南米のジャングル…私の興味があることが全て詰まっている。私はすぐに半魚人の研究に没頭した。これほど奥が深い生物を中々いない。アマゾンの部族達には半魚人はいくつもの種類に分けられ信仰されているらしい。私は半魚人を捜索する探検をライフワークに決めた。そのまえに探検家として経験を積む必要がある。私の探検隊と隊員達は皆私に心酔して忠誠を誓っている。彼らは皆日本の社会から追放された過去を持っている。失敗したもの、闇の中をさまよった者。全てに絶望した者。社会から追い出された者は今の時代いくらでもいるものだ。理由は様々だ。現代社会は闇が深い。人間ほど恐ろしいものはないのだ。私はそう思っている。人間よりも魚が良い。これが私の信念だ。私は彼らにインターネットやSNS、ウェブサイト等を通して知り合い、私の仲間にならないかと問うた。この者達は私の話を聞いてこぞって探検隊員になりたいと言ってきた。私に惚れたと言ってきたものもいた。理由はどうだっていい、必要なのは熱意だ。彼らも今や訓練や実戦を通じ腕をあげた。私が武道や生物、歴史の知識を授けた。最初はまともに人と会話できなかった者も今や成長し逞しくなった。ストレスから自殺をしたり犯罪を犯したりするよりは探検をしたほうが遥かに強くなれる。私は彼らにそう説いた。この仲間達と共に私は探検のするのだ。私の初探検は日本国内からだ。山口県の平家の落人伝説を調査した。記念すべき探検の大一段は自分のルーツである平家だった。平家は日本中に系譜を持つ巨大一族。中でも我が山口県は平家所縁の地であり、壇之浦の戦場だ。私は、海から調査を開始して山に移り洞窟にも入り、無縁仏となった墓も見つけた。海ではボートに乗り近海を調査した。江戸時代の伝承にある平家の幽霊船を探した。その日は不気味な夜だった。月の怪しい輝きが水面に浮かびあがり自分の顔を気味が悪く光らせている。更には濃霧だ。先がまるで見えない。そして月。おぞましくも美しい月だった。その月が一瞬光を放ったように見えた。私は胸騒ぎを感じた。その時私は霧の奥にボロボロの帆を掲げた古い帆船を見た。あれが平家の亡霊船だと思われる。近寄りがたい雰囲気を放つその船は濃い霧の向こうえと消えた。怖さよりも美しさを感じた。船内はどのようになっているのだろうか?。我々は数時間船を探したが二度と現れることはなかった。そこで我々は海から山に進路を移した。山の探検は峻険な山々を制覇しなければならない。山奥を目指して出発したが一向に痕跡はない。だが洞窟を見つけた。昔なら平家の兵士が隠れたのかもしれないが今となっては知る由もない。山にぽっかりと口を開けたその洞窟は深かったが行き止まりではなく通り抜けられた。そして見つけたのが無縁仏というよりは原型を残していない無惨な墓の廃墟を。ここだ。愚かな若者達が遊び半分で訪れた際の映像に平家の亡霊が海から這い上がってくるという物がある。当然の報いだろう。墓を荒らしたりした罰として、若しくは死人達の、怒りとしてかこの者たちはどうなったかは分からない。恐らくは助かってはいないだろう。所謂恐怖映像だが私はこの映像を見ても怖くはない。私が感じるのは神秘性だ。源平の合戦が終わって既に1000年近いが未だに衰えぬその怨念は私を含む探検隊員達の人をバカにすることしか出来ない日本社会への怒りとも通じるのだ。その亡霊達がうるさく騒ぎ散らす者達に好意的にするわけがないと私には良く分かる。今の日本に失望する幽霊も多いのではなかろうか、とさえ思う。先の大戦で戦死した兵士の魂などはまさにそうだろう。何れにせよ知性の欠片もない馬鹿者共に死して尚笑われる怒りは私にはとても良くわかるのだ。私が彼らの墓を発見した際、平家方の武将の霊を呼び出す儀式を行った。大変危険だが私には真実を知りたい好奇心がある。決して愚か者達のように遊び半分等ではない。旧知の霊能力者の力を借りて行ったが見事成功した。その武将は恐ろしい顔つきで私を見た。だが不思議と敵意は感じられなかった。私は遊び半分で来たのではない。彼らに真実を聞きに来たのだ。愚か者達とは違う。私は武将と向き合い様々なことを話した。他の隊員達も聞き入っていた。勿論私が平家の遺伝子を受け継いでいることも。話せば仲良くなれるものだ。武術の話では時間を忘れて盛り上がった。怨念の話は私にも言えることだ。この社会は人を殺す。武将の顔もいつしか輝いていた。それは私もだ。彼はありがとうと言った。礼をされるとは。今まで誰も恐れるばかりで自分の話を聞いてくれなかった。私が初めてと言うわけだ。この時彼の心は救われたのではないだろうか。儀式が終了すると武将も満足げな表情を浮かべて消えていった。だが私の平家伝説の探検はこれで最後ではない。これはまだ序章に過ぎない。私は自分の先祖でもある平氏の伝説を求めて日本中を探検する決意だ。この地もまた訪れなければならない。